学びと孤独

(3月頃に書いた下書き記事に加筆して公開)

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少し前に、会社のブログを書いた*1。テーマが若干ふわっとしててもっと鋭利に尖らせないとあまり読まれないだろうな…と思いつつ、まあグシャッとしたままで良いかとアウトプットした。この時期は就活も活発で、記事から少しでも中にどんな奴が居るかを知ってもらえれると嬉しいので個人的なアウトプットはしておきたかった。

それにしても、全体的に孤独な内容である。会社のブログに書くなら、うちにはこんな制度もあって、こういう文化もあって、学ぶのには良い環境ですよ!ってことをアピールしたほうが良いのでは無いのか。実際、色々チャレンジはあって、様々なセクションで自由に参加出来る勉強会があったり、輪読会が定期的に開催されたり、かなり良い空気が最近は流れ始めてる。まあ僕じゃなくても誰か書いてくれるでしょう。

記事の中で書いた方法(学びについて)は誰かに直接教わったというわけでは無くて、気付いたら自分で掴み取ってたそういう類の方法だと思う。無意識のうちに盗んでたものもあるかもしれない。先輩や影響受けた人からは直接丁寧に教わったというよりは、背中を見てたら気付いたらこうなってた、という感じがある。この考え方は令和じゃ古いのかもしれないけど、しかし重要なヒントがある気もする。

何か自分にとって重要なテーマを深掘りしていってると、気付いたら周りに誰も居ないなんてことは往々にしてある。この孤独は閉じていて心地よい。が偶に寂しくなるので、テーマを共有出来る仲間がもし幸運なことに居るなら大切にしたほうが良いのだろうなと思う。ゲーム会社は割りとそういう仲間が見つけやすいと思う。

最近絵を学んでいて、これがとても面白い。1年以上こういった学びが継続出来てるのは、プログラミング以来初めてかもしれない。来年、再来年どういった絵が描けるようになってるのだろうという未知への冒険にワクワクしてる。もし3, 4年も継続出来たらかなり凄いことだと思う。

何か自分にとって大切なテーマを時間をかけて学んでいくというのは、例え非効率ですぐに実用的なものにならなくても大事なものなのでは無いかなと思う。その過程はとても楽しい。どうしても役立つ、人から評価される方向へ学びは走ってしまうが、それは自分にとって大事なテーマなのかというのはよくよく考える必要がある。自分が本当に欲しているものに嘘を付いてないかと。

*1:本当は記事タイトルを「本と上手く付き合いたい」にしたかったけど「本と上手く付き合うには」にしたほうが良いですよってアドバイスされて変更した。少し説教臭くなってないか心配なところではある